メイン | お気に入り » | クラインガルテン日記 » | チェリーパイ » | レストラン » | 乗り物 » | 休日 » | 共働き » | 子ども » | 平日 » | 生活 » | 読書日記 » | 食生活 »
2007年01月03日
お正月
今年の年越しは自宅である。大晦日に早稲田の穴八幡に一陽来復のお札を貰いに行く。
姫が「除夜の鐘ききたーい。初日の出もみたーい」とのことで除夜の鐘を待つ。23:45頃になっても鳴らないのでこの界隈では聞こえないのかと思ったら、年明けからゴーンという鐘の音が。最後の一つを年明けに撞くのかと思っていたが、いろいろあるらしい。0:30頃まで聞こえていた。
年明け。目覚ましで6:40に起きる。東京の日の出は6:51とのことだがビル影に隠れて7:00に初日の出を拝むことができた。
その後所長実家を経由し笠間へ。今年の初詣は笠間稲荷である。このときばかりは市営駐車場も入場料がかかる。たいそうな渋滞を覚悟していたが、駐車場が多数あるのでそれほどでもなかった。
朝起きると姫友からの年賀状が稲田石のテーブルの上に届いていた。「あけましておめでとう。ことしもヨロシク!」多少風で動いているが十分読める。発見して姫喜ぶ。
クラブハウス前に立派な正月のお飾り。去年の正月のブログを見ると、去年も久野さんの作であったことがわかる。
ブロッコリの脇芽が増えてきている
結実しない白菜はこれはこれで見事
畑の状態。左側のベタ掛けにはコリアンダー。畑がずいぶんスカスカになってきた。
夜は姫実家。旧い百人一首カルタと新しいものを見比べる。「さびしさじゃなくさびしきだよねー」皆研究熱心。ちなみに新しいほうが正確であった。姫も初めてカルタ取りをする。「下の句が始まらないと取っちゃダメルール」を適用後はかなり健闘。
翌12:00に壬生を出る。13:45に東京着。浦和ICから下道を行ったが思ったより早かった。
投稿者 所長 : | トラックバック | クラインガルテン日記
2007年01月08日
お正月気分
姫が宿題の書き初めをするために姫祖母の家に泊まりに行ったため、所長と研究員にはちょっとした休みができた。年末年始が忙しかったため、まさに正月気分の連休。
土曜日
築地に買い物。岩佐寿司で鮨をつまむ。雨なので空いていた。今日は電車なので褒紋正宗を常温で。ちょっと樽香があり鮨によく合う。そのあと場外で鰹節、大豆、ちりめんじゃこを購入。
銀座に行き、ヨシノヤで靴のバーゲン初日。ヤマハは移転のため休みであった。
初めて行ったマキシム・ド・パリで苺のミルフィーユを食べる。研究員はサバラン。サバランは酔っぱらいそうなくらいラムが効いている。フルーツ、クリームともに特にフレッシュといった感じではないが、全体的に上等で安定した味。これが伝統というものか。コーヒーに入れるクリームが乳脂であることに驚く。
伊勢丹に寄り珍しくネクタイ購入。風雨が強くなってきたので帰る。
日曜日
午前中はのんびり自宅で過ごす。
昼から車で五日市に出かけ、キッコーゴで醤油と酢を購入した後、これも初めての黒茶屋でお茶をする。
その後日ノ出町のつるつる温泉に寄り、下道でのんびり帰る。灯油購入。途中すごい風。
夜は正月にふさわしくライフプランなど考える。
月曜日
家の掃除。伊勢丹に行き、土曜日に味見をした大七の純米生もとを購入。大七酒造の方が来ていていろいろ試飲させてくれたので買ってしまった。お燗向きとのこと。
姫を新宿駅まで迎えに行く。週末いないだけなのになんとなく成長した雰囲気。
その後リコーダーの練習につきあう。この年になっても押さえ方を身体が覚えているものだ。調子にのってピアノで伴奏しようと思ったが両手だと全然動かない。一度に一つの音しか追えなくなっている。年末に調律してもらったことだし、ヒマをみて練習せねば。
ふだんの仕事頭から離れて、のんびりしながらいろいろ考えることができた週末であった。
2007年01月13日
凧揚げ+フラガール+星見
本日は研究員が所用のため、所長、所長兄と姫で土曜昼に出かける。
ちょうどよい風が吹いていたので、子供らで凧揚げに挑戦
その後ポレポレの映画館でフラガールを観る。ポレポレの映画館はポレカを持っていくと200円~300円引きになる。初日であるが非常に空いていて真正面に座れた。
スクリーンは小さめだが音響は良かった。ジェイク・シマブクロの音楽もよくマッチしていた。
フラガールは先日行ったスパリゾートハワイアンズ(旧名称:常磐ハワイアンセンター)の開設時の苦労をドラマ仕立てにしたものであるが、スポーツ根性モノ、田舎と都会、オールドビジネスとニュービジネスの対立と様々な要素がうまくつなぎ合わされており、大傑作であった。「まじめにコツコツつらい仕事を汗水たらして働く」のと、「お客の前で踊って、喜んで貰ってお金をもらう」への意識的転換(しかも、前者が縮退モードであり、後者の可能性は未知数)は当時大変な抵抗があったのではないだろうか。
久々に映画館の外にでて現実に戻るのに苦労した。
夜は星がきれいなので星見をした。双眼鏡で観ると星だらけで目指す星を見つけるのが大変なほど。天頂のすばるが美しかった。
投稿者 所長 : | トラックバック | クラインガルテン日記
2007年01月14日
斎藤塾でみそ作り
斎藤塾のみそ作りの日である。
朝起きると窓の結露が凍っている
車にも霜がびっしり
9時に斎藤さん宅集合
材料の配合。干した大豆(乾量)1kgに麹1kg、塩500gというのが基本。
豆は煮ると2.5kgになるので、塩分13%位のみそができる。
大豆は黒豆でもよい。緑大豆でやると灰色のかにみそのような色になる。(あまりおすすめできない)
アルコール消毒。容器と手(爪の間、指の股を重点的に)消毒する。ストーブのほうに向けてやると火がつくので注意。麹はカビなので、あまり派手に消毒すると麹が死ぬ。豆が熱すぎると同様に麹が死ぬので注意。
地物の有機大豆。親指と小指でつまんで潰れるくらいに煮る。
これが麹のもと。なぜか「もやし」という。これを蒸した米にまぜ麹を作る(今回はすでに準備済み)。
トレイごと計るので、あらかじめ計算しておく
茹だった豆
茹だった豆を後ろのミンサーで摺り、バットの中で麹とまぜ、塩を入れる
業務用機械を扱うためブリーフィングを受ける。豆を手でいれないこと。力が強いので持って行かれてしまう。端っこについている豆をつつきたくなるが厳禁
煮豆がつぶされて出てきた
容器からあふれないようたらいを回す
仕上がった麹
麹は米の廻りに白く生えている
ひき豆をバットに開け、麹を規定量入れる
塩も入れる。塩は乾燥豆1kgに500グラム。一握りはあとで表面に蒔くためにとっておく
塩、麹、豆をバットの上でよく混ぜ合わせる
結構大変。ボカシ作りを思い出した
適当に固まりを作る
みな興味津々
樽にすきまなく詰める
表面をなだらかにして、雑菌防止のために塩を多めに振る。そのあと樽の土手をアルコールで念のため拭いておく。
それぞれ作業開始
順番に実施。
しっとりとした豆とパラパラな麹をぎりぎりの容量のバットの上で混ぜるのは意外と難しい。言うは易く、行うは難し。
斎藤レシピではビニール袋は使わない(そのかわりアルコール消毒は丁寧)が、ビニール袋につめてみる人もいる
麹が思ったより余ったので、甘酒作り用の餅米を籾摺り機にかける
上から籾を注ぐと左側から米が出てくる
左からは籾殻が出てくるのだが、下が詰まると籾殻が上に吹き上げ、辺り一面が籾殻だらけになる
そろそろ作業終了
ラウベに戻ると、ブロッコリの脇芽がかなり育っている。花芽をつけようという執念
他のガルテナーではブロッコリが茎だけになる被害発生。どうも森に近いので鳥につつかれているようだ
芽キャベツも同様
いぶちちより謎のビールを頂いた
酸味があり爽やか。意外といける。アルコール度数はあまりなさそう。
投稿者 所長 : | トラックバック | クラインガルテン日記
2007年01月20日
ガルテンのみそ作り
本日はガルテナー主催によるみそ作りが行われた。
講師は藤枝さんである
麹をボウルにあけ
ぬるま湯200ccでほぐす
興味しんしん
こんなものですかね
すでに煮てある大豆を入れる
あまり茹で汁はいれないように
麹と煮豆の混合物をミキサーに入れる。斎藤塾では麹は米の形をしたまま仕込まれるが、今回のやり方では一緒に破砕される。塩がミキサーの後というのは同様。機械が傷むのであろう
ミキサーから出てきたところで、塩をまぜる
バケツにビニールを貼り、隙間なくつめていく
ビニールの先をねじってとめる(完全密封はしない)
その上に新聞紙をひく(湿気除け)
1kgくらいの重石を載せておくと良いとのこと。斎藤塾より消毒にはこだわらないが、密封性は増す。麹は基本的には嫌気性発酵のはずだが、斎藤塾はある程度通気してもかまわない、ただし作業時の滅菌はすべしと思っているようだ。
個々に流れ作業で始める。
ラウベでは所長の誕生日を祝うべく、ケーキの準備中。
スポンジケーキの共だては湯煎。なんとアラジンストーブの湯を使う
オーブンがないのでビタクラフトで焼く。中身が見えないのが難。多少凹んだがとりあえず焼けた
こちらは丸鶏。これもビタクラフトで蒸し焼きに
ある程度加熱したら、アラジンストーブの上に掛ける。ちなみに英語ではstoveは煮炊きする「こんろ」を指し、日本で言う採暖だけの機器はheaterである。そういう意味ではアラジンは今回は立派に「stove」である。
焼けたところ。焦げ目はつかないが、中まで十分火は通っている
鶏はしっとりしていて美味しかった。
投稿者 所長 : | トラックバック | クラインガルテン日記
2007年01月25日
ビタクラフトの取っ手交換
7年間使っていたビタクラフトの取っ手が壊れて取れた。さた研では無水調理・長時間での利用が多いため、徐々に劣化していったものと考えられる。
小田急百貨店で部品を入手。注文になるかと思ったが在庫があった。1個(片方)525円とのこと。
並べてみると、新品部品がつやつやであるのに対し、旧いのは下が炭化しているのがよくわかる。また、すこしくらい割れ目が入った状態では壊れないので、たまに見てやる必要がありそうだ。一定間隔で取っ手がゆるんでくるので、その時にチェックするのがよいだろう。
マイナスの大きなねじ回し一本で取っ手交換終了。本体は問題がないので、まだまだ快適に使えるであろう。
2007年01月27日
納豆作り
本日は藤枝さん宅で納豆作り講習が行われた
大豆をやわらかく煮る
わらから「わらづと」を作る。まず、綺麗に刈ってある感想わらから、不要な葉のぶぶんを落とす。「せせる」という地方もあるそうな。
ガルテンではデジカメブーム。さた研も人のことはいえないが、手を伸ばしてカメラを構えているのは不思議な光景である。
いわゆる「せせり方」。藁の先を持ち、裾をひろげて余分な葉を落とす。ネギの乾燥した葉を落とすイメージに近い。
綺麗にした藁に水を含ませる
作業場の設営
藁つと作り。
藁を半分に曲げ、曲げた側をわらで縛る。
先の方もわらで縛る
わらづとを2つに折りまげ、折りぐせをつける
開くとこのとおり。この空間に煮豆を入れる
納豆の仲人(?)を入れる。これは藁束を小さくしたもの。どうやら納豆を詰めてしまうと真ん中までわらについている納豆菌が届かないので、中心部にも藁を置き、納豆菌をまんべんなく行き渡らせるということのようだ。
豆をいれた状態で、上をしばってできあがり
作業に取りかかる
大きさまちまち。最初だからこんなものか。ちなみに、大きい藁づとをつくるなら、藁を折り曲げなくても良い
まめをすくって
藁つとの空間に入れる
豆が上にでてきてしまう。結構難しい。理由1:藁つとの広げかたが足りない。理由2:豆が多い。大きく広げれば豆は中に入る。どうしても入らないときは上からバラ藁をかぶせて縛る
豆のはいったわらづとがむしろの上に並ぶ
作業は進む
そろそろ豆終了。
むしろごとまるめて縛り
移動する。どこへ?
ビニールハウス内に電気毛布が待っている。その上に載せる
電気毛布でくるみ
さらにカバーする。これで簀巻きの完成。通電で45度程度。2日間ででき、2週間ほどは持つとのこと。
ちなみに、今回はわらについている納豆菌に期待し、特に市販の納豆粒を入れたりはしない。藁自体も乾燥させているが、とくに煮沸消毒もしていない。藁さえ入手できれば、自宅でもできそうである。さて、本当に美味しい納豆ができるのであろうか。来週を待て
後かたづけ
ガルテンに戻り収穫の準備。手前がビーツ、奧がホウレンソウ。両方とも元気
サトイモ。土つきで掘り出したものを洗い、個々のサトイモに分ける
本日の収穫
16:00時にガルテンを出てホロルの湯に行き、東京へ戻る。19:30帰着
投稿者 所長 : | トラックバック | クラインガルテン日記
2007年01月28日
不都合な真実
さた研全員で「不都合な真実」を観に行った。東宝シネマズ府中では6割程度の入り。日曜日はテトラパック協賛の割引が六本木と川崎で実施されている(そちらは満員だった)ので、観たい人はそちらに流れたのかもしれない。
内容はアル・ゴアの様々な観測データや写真を元にした地球環境についての授業。語りがうまく、プレゼンの見せ方も工夫されていて、地球温暖化の証拠がつぎつぎと有無を言わさぬ形で提示される。
・誰もが無意識に気が付いていて、それが現状を継続する上で不都合な場合、無視するか、推測にすぎないと決めつけるのが現状肯定派のよくある判断であろう。
・ただし、現実の事態は遙かに先をいっており、ある日突然とんでもない事態が起こりうる。氷河期に移行するのは10年足らずだったとの調査結果もある。
・温暖化で北極・南極・グリーンランドの氷が溶けると海抜が12m上がる。大都市のかなりの範囲が水没し、1億人近くが居住地域を追われる
・温暖化は氷を溶かすだけでなく、陸地の表土部分をさらに乾燥させる。
・温暖化と大気中のCO2量は相関があるが、現在のCO2量は過去のいかなる時点より遙かに高い。
興味ある方は映画を見られたし。決して楽しい映画ではなく、上映館も少ないが、近い将来何が起こるか知りたい人にとっては必見の映画である。
「見たくない現実」から目をそらしたくなるのは地球温暖化に限ったことではなく、日常生活のどこにでもある。必要なのはミクロの蓄積から本質を見通す力と、そこにリソースを注ぐ全員の行動であろう。前者は何人かの賢者がいれば可能かもしれないが、後者はどうすれば可能か想像がつかない。現実を容認したい、今日の平和が明日も続くと思う考え方は抗しがたい魅力があるし、団塊より上の世代のモデルはそれでよかったからだ。真面目に右肩下がり、足るを知る生活を実行しなければならない。